機械式時計は非常に繊細な作りとなっているため、強い衝撃や磁気帯びなどで精度が狂ってしまうことがあります。
油切れやパーツの破損が原因であればオーバーホールが施されますが、精度さえ直せば問題ない場合、分解せずに調整が行われることが多いです。
今回は時計技師がどのようにして精度調整を行っているかを解説したいと思います。
オーナーが直接調整をすることはありませんが、知っておくと時計への理解が深まります。
目次
調整の肝となる2種類の調速機
機械式時計はムーブメントに配された「緩急針」もしくは「フリースプラング」という機構によって時刻の遅れ進みを調整します。
主な役割は修理を必要としないパーツ同士のズレが原因の精度のズレを調整することであり、大きく分けると伝統的な緩急針、近年高級機によく使われるようになったフリースプラングの2種類に分類されます。
緩急針について
緩急針はヒゲゼンマイの長さを調整する機構であり、テンプ受けに取り付けられています。
調整幅が大きいため幅広いため様々な症状に対応できますが、微調整には向かないため、繊細な調整をするためにはオーバーホールが必要です。
尚、緩急針には3つの種類があり、それぞれ異なる特徴を持ちます。
スワンネック
ランゲ&ゾーネ サクソニア フラッハ 211.032(LS2114AD)
白鳥の首のような曲線パーツで作られた緩急針。バネとネジで緩急針が固定されており、機械式時計らしい繊細な美しさを楽しめます。
高級機に使われるだけあり、細かな精度調整もある程度しやすくなっているのも特徴です。
ランゲ&ゾーネやブレゲといった雲上ブランドの時計でしばしば見かけます。
エタクロン
ETAムーブメントに使われるエタクロン。最も普及率が高い緩急針であり、あらゆる高級時計に使用されています。
偏心ネジを左右に回すだけという簡単な機構であることから調整がしやすく、設計に柔軟性があります。
ただ、ベースが汎用ムーブであることもあり、安定性や耐久性に関しては他の調速機よりも劣るのがデメリット。衝撃で精度がズレやすいため、エタクロンタイプの時計はより丁寧に扱わなければなりません。
トリオビス
IWC ポートフィノ ハンドワインド 8DAYS IW510102
ヒゲ持ちの横に微調整ネジを配したトリビオス。IWCやジャガールクルトで用いられた来た歴史ある機構です。
機構が内側にあるため視覚的には分かりづらいですが、ネジを回すことで精度を調整します。
汎用的なエタクロンよりも細かな調整ができるメリットがあり、調整能力は緩急針の中でもトップクラスです。
フリースプラング
フリースプラングはテンプ受けではなく天輪についた補正ネジを回すことで精度を調整する機構です。緩急針よりも後に開発され、主に高級機に扱われるようになりました。普及し始めたのは2000年に入ってからであり、緩急針よりもより繊細な調整が可能となっています。
ただ、その分メンテンスの難易度も上がっており、調整には熟練の職人の技術が必要です。
こちらも3つの種類が存在するので、併せて覚えておきましょう。
マスロット
オーデマピゲ ロイヤルオーク 15300ST.OO.1220ST.02
マスロットというパーツを天輪に取り付けて精度を調整する機構です。本来兼ね備えるヒゲ棒を取り除かれており、高級によく採用されています。
マイクロステラ・ナット
ミルガウス 116400GV Cal.3131
天輪の中に4つのネジを配したマイクロステラ・ナットはシンプルな作りながらも絶妙なバランスでテンプの比重を調整する画期的な機構です。
精度を調整する際に複雑な操作をする必要がなく、細かな微調整にも対応しています。
ロレックスが独自に開発した機構であり、現行ロレックスはほぼ全てのモデルにコチラが用いられています。
ジャイロマックス
パテックフィリップ ノーチラス プチコンプリケーション 5712G-001
ジャイロマックスはパテックフィリップが1949年に開発した機構であり、今尚現役で採用され続けている伝統的なフリースプラングです。
天輪に8個の錘が配置されており、それぞれに微調整を加えることで精度のズレを直します。
慣性を繊細なバランスで調整するため、調整には高度な技術が必要ですが、パテックフィリップの技術者にとっては決して難しい作業ではないと言います。
調整幅広くはありませんが、安定感は抜群です。
優れているのはどちらなのか?
フリースプラングは比較的新しい機構であるため、調整能力は極めて高いです。
秒単位の調整が可能であり、緩急針と比較するとフリースプラングの方が優れた機構であるといえます。
緩急針は製造コストが低いため、あらゆるムーブメントに用いられますが、強い衝撃で精度が狂いやすいのがデメリットです。
その点フリースプラングは高級モデルばかりに使われることもあってか精度調整に融通が利きます。
ただ、緩急針にはフリースプラングにはない機構としての美しさがあり、一概にフリースプラングが良いとはいえません。
雲上時計やアンティーク時計にスワンネック緩急針が用いられることが多いですが、近代的な機構では味わうことのできない魅力を秘めています。
メリット・デメリットについて
この記事の締めくくりとして、緩急針とフリースプラングのメリット・デメリットをまとめてみました。
時計選びの際には是非参考にしてみてください。
緩急針のメリット
・調整が簡単
・調整幅が広い
・製造コストが低い
緩急針のデメリット
・機構が衝撃に弱い
・細かな調整が困難
フリースプラングのメリット
・高い精度と安定性をキープできる
・微調整が行える
・耐久性が高い
フリースプラングのデメリット
・広範囲の調整が難しい
・調整に技術や特殊工具が必要
・製造コストが高い
当記事の監修者
廣島浩二(ひろしま こうじ)
(一社)日本時計輸入協会認定 CWC ウォッチ コーディネーター
一級時計修理技能士 平成31年取得
高級時計専門店GINZA RASIN 販売部門 ロジスティクス事業部 メンテナンス課 主任
1981年生まれ 岡山県出身 20歳から地方百貨店で時計・宝飾サロンで勤務し高級時計の販売に携わる。 25歳の時時計修理技師を目指し上京。専門学校で基礎技術を学び卒業後修理の道に進む。 2012年9月より更なる技術の向上を求めGINZA RASINに入社する。時計業界歴19年