部品を製造するメーカー、ムーブメントを製造するメーカー、そして時計を組み上げるメーカー。
スイスの時計産業は古くから分業制によって成り立ってきました。
しかし近年はムーブメントを自社一貫生産する「マニュファクチュール」が増えており、これまでの分業制とは異なる動きを見せています。
今回は分業制からマニュファクチュールへと進むスイス時計界の変遷について解説いたします。
目次
①スイスの分業制 エボーシュとエタブリス―ル
スイスは17世紀頃から時計のムーブメントを”分業制”で製造してきました。
ムーブメントはムーブメント製造メーカーが作り、組み上げは組み上げを専門とするメーカーが行います。
そして、この流れは現代においても受け継がれています。
例えばムーブメント製造メーカーとして世界的に有名であるETA社。ETA社はエボーシュと呼ばれる未完成のムーブメントを各ブランドに提供しています。
提供を受けた時計メーカーはそれを基に独自にアレンジして完成させます。
さらには機械式時計において最も製造が難しいといわれる「ヒゲゼンマイ」を専門的に製造するニヴァロックス・ファー社。
同社はムーブメント製造メーカーよりも更に細かく分業した部品製造メーカーです。
自社で全てを賄う自社一貫生産スタイルではなく、得意なことは得意なメーカーに。まさに「餅は餅屋」の精神にてスイスの時計界は成り立ってきました。
尚、ETA社のようなムーブメント製造メーカーからエボーシュ(未完成ムーブメント)を仕入れ、組み上げるメーカーのことをエタブリスールと呼びます。エタブリスールはムーブメントや部品を外部提供に頼り、時計の設計や文字盤デザインは自社で行うスタイルです。
一般的に時計ブランドといえば、このエタブリスールが多いです。
このようにスイスの時計界は「エボーシュとエタブリスールの協力関係」により、世界最大の時計生産国として名を馳せてきました。
しかし、この分業制は21世紀に入り綻びを見せています。
②スイス時計業界は対立構造へ
スイスは古くから分業制によって発展を遂げてきましたが、20世紀後半にクォーツ時計が開発されたことにより、業界は大きな改変を迎えることとなります。
まず、機械式時計よりも遥かに精度の優れるクォーツ時計の普及により、機械式時計の需要が著しく低下。その結果、多くのエボーシュとエタブリスールが消滅し、スイス時計界自体が存続の危機を迎えました。
この危機的状況は10年弱続くこととなりますが、パテックフィリップやブランパンといった時計ブランドの活躍、及び時計界の敏腕経営者ジャン・クロード・ビバー氏らのブランディング戦略により、21世紀に入るころには再び人気を取り戻します。
ただ、以前のようにブランドが単独で経営を続けていくことは難しく、大半のブランドが巨大資本の傘下に加わることで経営を続けていくことになりました。
この時点でスイスの時計産業は国を挙げて産業を盛り上げていくスタイルではなく、巨大資本同士のライバル関係であるという構造に変化します。
スウォッチグループ | リシュモングループ | LVMHグループ |
オメガ ブレゲ ハリーウィンストン ブランパン グラスヒュッテオリジナル ハミルトン ロンジン など |
カルティエ ピアジェ ランゲ&ゾーネ IWC パネライ ヴァシュロンコンスタンタン ロジェ・デュブイ など |
タグホイヤー ウブロ ゼニス ブルガリ ルイヴィトン など |
現在の3大資本グループはスウォッチ・リシュモン・LVMH(ルイヴィトンモネヘネシー)。各時計ブランドはこの3大グループの傘下に加わり、日々しのぎを削っています。
ただ、ここで問題になったのはムーブメント製造メーカーのETA社の存在です。
ETA社は業界再編時に最大手スウォッチグループに買収され、スウォッチグループの部品製造部門の傘下になりました。
長らくスイスの分業制を支えてきたETA社が一つの企業に収まったことにより、スイスの時計界はさらに劇的な変化を迎えます。
ETA社ムーブメント供給停止問題が勃発
ETA社を傘下に収めるスウォッチグループは、2002年にグループ外へのETAエボーシュ提供を段階的に停止していくと発表。
「何故他社に自グループの技術を提供しなければならないのか?」ということが発端なのですが、これによりスウォッチグループ以外の時計ブランドは再び窮地に追い込まれることになります。
リシュモン・LVMH傘下の時計ブランドに限らず、ほぼ全てのスイスブランドはこれまでETA製ムーブメントに依存して時計作りを行ってきたのですから、いきなり供給をやめるといわれても対応することはできません。
結果的にこの発言がキッカケとなり、スイスの時計業界は一気に対立構造へと向かいます。
ただ、独占禁止法やスイス時計産業全体の様々な問題があり、最終的には2020年にETA社のムーブメントの供給停止が決定しました。
つまり、2020年以降はスウォッチグループ傘下以外の時計ブランドはETAムーブメントを使用することができません。
③時代はマニュファクチュールへ
ETAムーブメントはいずれ使用することができなくなる。
この事実により、スウォッチグループ以外の時計ブランドは以下の選択肢のどちらかを選ぶことを余儀なくされます。
■ムーブメントを自社開発する
■ETAではないエボーシュを採用する
低価格の時計を主力とする時計ブランドはETA社の代わりにセリタ社というほぼ同一の機能性を誇るエボーシュを採用し、これまで通りの時計作りを行うことを決めます。
ただ、中級クラス以上の時計を扱うブランドの多くは自社開発への道を選び、「エボーシュとエタブリスール」の分業制で成り立っていたスイス時計界は自社一貫生産体制「マニュファクチュール」であることが当たり前の時代に突入します。
その後、ロレックスを筆頭に有名時計ブランドは次々と自社製ムーブメントの開発に成功。2010年に差し掛かるころにはタグホイヤー、ブライトリング、パネライ、カルティエといった多くの人気ブランドが自社製ムーブメントを展開します。
近年ではスウォッチグループ傘下であるオメガも自社製ムーブメントを搭載しています。
④マニュファクチュールについて
自社製ムーブメントの戦国時代ともいえる現代は時計ブランドのマニュファクチュール化が進んでいます。
ただ、本来マニュファクチュールはケースからムーブメントに至るまで「全てを自社製造」しているブランドのことを指しますが、マニュファクチュールを謳うブランドが増えすぎたため、何をもってマニュファクチュールと呼ぶのか基準が曖昧になっています。
一部のモデルに自社ムーブメントが搭載されていればマニュファクチュール。自社ムーブメントを作り出せた実績があればマニュファクチュールなど、
様々な基準が存在しますが、一般的には全てのパーツではないにしても「設計・製造」を自社で行っているブランドのことをマニュファクチュールと呼びます。
つまり主要モデルの大半が自社製造品だったならマニュファクチュールと呼べるでしょう。
「主なマニュファクチュールブランド」
ロレックス、パテックフィリップ、ヴァシュロンコンスタンタン
オーデマピゲ、ジャガールクルト、ジラールペルゴ
グラスヒュッテオリジナル、パルミジャーニフルーリエなど
IWC、オメガ、タグホイヤー、カルティエも自社開発ムーブメントを完成させていますが、価格帯の幅が広く、多くのモデルに汎用ムーブメント(カスタマイズはしていますが)を搭載しているため、マニュファクチュールといえるかは微妙です。
パネライは近年発表するモデルは全て自社製ムーブメントですので、数年後にはマニュファクチュールと呼べる存在になりそうです。
完全マニュファクチュール
マニュファクチュールの中には部品の一つ一つに至るまで全て自社で開発する真のマニュファクチュールブランドが存在します。
それこそが「完全マニュファクチュール」と呼ばれるブランドです。
出典:https://www.alange-soehne.com
完全マニュファクチュールはその名の通り、全てのパーツを自社で製造する完全なるマニュファクチュールのことを指します。一番製造することが難しいヒゲゼンマイですら自社で開発しており、他社に依存することなく時計製造が行えます。
「完全マニュファクチュールブランド」
ロレックス
セイコー
ランゲ&ゾーネ
パルミジャーニフルーリエ
H.モーザー
まとめ
3世紀以上に渡り”分業制”にて発展を続けてきたスイスの時計業界は、21世紀に入ってからはマニュファクチュール体制が当たり前の時代になりました。
もうムーブメント製造をETA社に頼り切ることは出来ないため、これからは自社製ムーブメントの開発がさらに活発化することでしょう。
ただ、分業制を続けてきた時代に比べると、時計の品質は格段に向上しているため、消費者にとって今の時代は歓迎すべきなのかも知れません。
当記事の監修者
南 幸太朗(みなみ こうたろう)
(一社)日本時計輸入協会認定 CWC ウォッチコーディネーター
高級時計専門店GINZA RASIN 買取部門 営業企画部 MD課/買取サロン プロスタッフ
学生時代に腕時計の魅力に惹かれ、大学を卒業後にGINZA RASINへ入社。店舗での販売、仕入れの経験を経て2016年3月より銀座本店 店長へ就任。その後、銀座ナイン店 店長を兼務。現在は営業企画部 MD課 プロスタッフとして、バイヤー、プライシングを務める。得意なブランドはパテックフィリップやオーデマピゲ。時計業界歴13年。